力善失敗記
第2話 1998年7月
こうして私たちは少年柔道の先生になることに決まった。
2年後の失敗。そして大事件の話しはのちに詳しくお話しをする。
前回お話ししたように、当時私は新宿駅や池袋駅の巨大ターミナルの巡回警備の仕事に従事していた。
十数人の部下を従えて、従来の仕事に加え、シフト決めや新人の指導など忙しい日々を送っていた。
私には1つ悩みがあった。
とにかくこの仕事はトラブルが多い。
勤務中の部下が、殴られたり蹴られたりすることなど日常茶飯事であった。
相手を制圧することもある仕事である。
決して負けるわけにはいかなかった。
何とか、部下の警備力を上げる方法がないかと考えていた。
それが悩みであった。
空手か柔道を私が部下に指導しようかとも考えていた。
私は空手も段位を持っている。
そのような時に、この話が来た。
ちょうどいい機会なので、私たちの部署も柔道の稽古を始めようと思い立った。
空手のように殴る蹴るで相手を制圧するよりも、投げで制圧する方がまだ見栄えが良いと思った。
大勢の駅利用客に見られる仕事である。
『うん。そうだ。柔道がいい。』
そう思った。
そうなると私は行動が早い。
部下たちにみんなで柔道を始めるぞと大号令をかけた。
今も昔もワンマンな私である。
部下たちに拒否権は無い。
1998年の事なので、当時は何でも許された。
嫌がる部下もいたが、全員に池袋の建武堂で柔道着を買わせて、週に2回新宿のスポーツセンターの柔道場を自分たちで借りて練習をすることになった。
最初は厭々やっていた部下もいたが、やはりみんな戦うことが大好きである。すぐに夢中になって基礎もソコソコに楽しそうに乱取で汗をかいていた。
このときのメンバーをイチから私が指導をして、後に2名を2段に、10名を初段に昇段させた。
そんな中、地元茨城県古河市で、少年柔道の第一回目の指導の日がやってきた。
あくまでも私はお手伝いである。長くても1年位で辞めよう。
嫌になったら、初見先輩に任せてすぐに辞めよう。
それくらいの気持ちで、柔道場へ向かった。
しかし、結果はそうはならなかった。
初回の指導で、私が知らなかった私を知ることになる。
かなり新鮮で感動した出来事であった。