月刊☆しょうじゅう! REIWA

柔道指導者の杉村圭介が専門的なことを綴るブログです。

【鈴木正博】小林信雄の情熱 第2話

解説

このお話しは、少年柔道のミニコミ誌【月刊☆しょうじゅう!】の平成20年(2008)8月号(創刊号)~平成21年(2009)10月号の全15回で連載された全国制覇への熱き思いをタイトルを変え再編集したものです。

 

全日本男子監督の鈴木桂治氏が幼少期にイチから柔道を教わった小林信雄師範。

鈴木正博師範が熱筆を揮いました。

 

 

 

小林信雄の情熱 第2話 筑波大がやってきた!

昭和50年、隣の村(現つくば市)に筑波大学ができた。

 

今となっては知らない人もおらず、すべてにおいて世界の最先端を行くレベルを備えているこの筑波大学だが、当時、田舎者の私たちにはその価値がまったく分からなかった。

 

柔道部があることすら知らなかった。

 

 「大学って何勉強してんだ?」

 「みんな頭良いらしいから、メガネかけてんのかな?」

 「英語、Aから最後まで全部言えるのかな?」

 「大学生が飼育すると、カブトムシが50センチくらいにでかくなるってよ!」

 

・・・頭の悪いガキどもの発想である。

しかしこれが当時の「大学」というものに対するイメージであった。そりゃそうだ。身近に大学に進学した人がほとんどいなかったし、いたとしても勉強ばかりしていて、青白い顔した、ほとんど部屋から出ないようなイメージしかないのだから。

 

 そんなある日、小林先生が「今度、筑波大学の柔道部の先生と学生さんがみんなの練習を見に来てくれます。」と言った。

 

聞けば大学の公開講座に申し込んだところ、石下柔道部が選ばれたらしい。

 「一流の先生方の技を教えてもらいますので、しっかり見ておくように!」と、言われたものの頭の悪いガキどもである。

 

 「一流って?じゃあ、僕らは何流なの?」

 「みんな黒帯してるの?」

 「巴二段投げ(※漫画『柔道賛歌』に登場する必殺技)見せてもらえるかな?」

 「合宿で山ごもりして、木に帯まきつけて打ち込みとかしてんのかな?」

 「熊と戦ったのかな?熊に食べられなかった?」

 

愚にもつかないような質問が飛び出し、さぞかし小林先生も困ったことだろう。

 

そして当日・・・全員白帯、約100名の少年柔道部員が待つ道場に、筑波大学の先生・学生が全員柔道着姿で来てくれた。

 

・・・言葉が出なかった。

 

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【力善失敗記】第2話 1998年7月

力善失敗記

第2話 1998年7月

 

こうして私たちは少年柔道の先生になることに決まった。

2年後の失敗。そして大事件の話しはのちに詳しくお話しをする。 

 

前回お話ししたように、当時私は新宿駅池袋駅の巨大ターミナルの巡回警備の仕事に従事していた。

十数人の部下を従えて、従来の仕事に加え、シフト決めや新人の指導など忙しい日々を送っていた。

 

私には1つ悩みがあった。

とにかくこの仕事はトラブルが多い。

勤務中の部下が、殴られたり蹴られたりすることなど日常茶飯事であった。

相手を制圧することもある仕事である。

決して負けるわけにはいかなかった。

何とか、部下の警備力を上げる方法がないかと考えていた。

それが悩みであった。

 

空手か柔道を私が部下に指導しようかとも考えていた。

私は空手も段位を持っている。

そのような時に、この話が来た。

ちょうどいい機会なので、私たちの部署も柔道の稽古を始めようと思い立った。

空手のように殴る蹴るで相手を制圧するよりも、投げで制圧する方がまだ見栄えが良いと思った。

大勢の駅利用客に見られる仕事である。

『うん。そうだ。柔道がいい。』

そう思った。

 

そうなると私は行動が早い。

部下たちにみんなで柔道を始めるぞと大号令をかけた。

今も昔もワンマンな私である。

部下たちに拒否権は無い。

1998年の事なので、当時は何でも許された。

嫌がる部下もいたが、全員に池袋の建武堂で柔道着を買わせて、週に2回新宿のスポーツセンターの柔道場を自分たちで借りて練習をすることになった。

 

最初は厭々やっていた部下もいたが、やはりみんな戦うことが大好きである。すぐに夢中になって基礎もソコソコに楽しそうに乱取で汗をかいていた。

このときのメンバーをイチから私が指導をして、後に2名を2段に、10名を初段に昇段させた。

そんな中、地元茨城県古河市で、少年柔道の第一回目の指導の日がやってきた。

 

あくまでも私はお手伝いである。長くても1年位で辞めよう。

嫌になったら、初見先輩に任せてすぐに辞めよう。

それくらいの気持ちで、柔道場へ向かった。

 

しかし、結果はそうはならなかった。

初回の指導で、私が知らなかった私を知ることになる。

かなり新鮮で感動した出来事であった。

 

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【力善失敗記】第1話 1998年6月

力善失敗記

第1話 1998年6月

 

1998年6月、私は少年柔道の指導者になった。

 

当時の私は30歳で警備会社に勤務していた。

警備会社では、新宿駅池袋駅などの巨大ターミナルを巡回警備する仕事をしていた。

その部署は、『駅特警』と呼ばれていて、私は現場の責任者として、10数名の部下をマネージメントしていた。

 

仕事の内容は、駅構内で違法行為をしている人間の取り締まりであった。

物品販売、音楽演奏、キャッチセールス、宗教勧誘、コンコースなどでの車座になっての飲み会、etc.

 

田舎の駅と違って、新宿駅池袋駅などは、駅そのものが1つの街なので、利用客をターゲットにした違法行為が後をたたなかった。

鉄道営業法第35条に基づいて、違法行為をしている人間を見つけたら注意をして、駅構外に出てもらうように促すのであるが、それを素直に聞く人間などいない。

そのためトラブルの連続で、毎日毎日喧嘩をしているようなものであった。

毎日が殺伐としていた。

こんな仕事、もう辞めたい。

でも、逃げたくない。

感情が交錯して、日々悶々としていた。

 

そんなある日、1本の電話がかかってきたことによって、私は少年柔道の指導者への道を歩むことになった

 

当時は、ほんの数ヶ月のお手伝いのつもりであった。

 

しかし、気がつくと、今日まで約25年間もこの世界で子どもたちに柔道を指導することになった。

 

振り返ると25年間あっという間だった。

成功したことも失敗したこともたくさんあった。

 

この物語では、主に失敗した体験をもとに語っていきたいと思う。

 

これから、道場を立ち上げようとする。若い人たちのために。

また、既に道場のマネージメントをしている指導者のために。

何かの役に立てればに幸いである。

 

 

第一話

絵須柔道クラブ

 

1998年の6月のある日、1本の電話がかかってきた。

 

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【鈴木正博】小林信雄の情熱 第1話

解説

このお話しは、少年柔道のミニコミ誌【月刊☆しょうじゅう!】の平成20年(2008)8月号(創刊号)~平成21年(2009)10月号の全15回で連載された全国制覇への熱き思いをタイトルを変え再編集したものです。

全日本男子監督の鈴木桂治氏が幼少期にイチから柔道を教わった小林信雄師範。

鈴木正博師範が熱筆を揮いました。

 

 

 

小林信雄の情熱 第1話 田舎町・石下

小林信雄師範

 

 

作家紹介

鈴木正博師範

 

鈴木 正博 (すずき まさひろ)

1967年茨城県出身。

幼少の頃より小林信雄師範に柔道の指導を受ける。

県立下妻一高時代にはインターハイに出場。

筑波大学柔道部卒業後は、家業を継ぎ、後進の育成にあたっている。

現在は、常総市体育協会石下柔道部副会長を務める。 六段。

 

 

 

 

はじめに

まずはタイトルに出てくる「小林信雄先生」について、簡単に紹介させていただきたい。

 

小林先生は、私の所属する「茨城県常総市体育協会石下柔柔道部」の初代監督であり、昭和50年に石下町体育協会柔道部(平成18年に「常総市」となる)を設立した。

 

平成13年(2001)に他界されるまでの26年間、数々の栄光を手にしてきた。

 

【石下柔道部 栄光の歴史】

〇全国少年柔道大会

・昭和62年(1987) 第三位

・昭和63年(1988) 第三位

・平成 4年(1992) 準優勝

・平成 5年(1993) 準優勝

・平成 6年(1994) 優 勝

・平成 7年(1995) 準優勝

 

全日本選抜少年柔道大会

・平成 3年(1991) 第三位

・平成 4年(1992) 第三位

・平成 6年(1994) 第三位

・平成 7年(1995) 優 勝

〇全国少年武道練成大会

・昭和59年(1984) ブロック優勝

・昭和62年(1987) ブロック優勝

・平成 4年(1992) ブロック優勝

・平成 7年(1995) ブロック優勝

・平成 8年(1996) ブロック優勝

 

これまでに輩出した全日本強化選手は10名を超え、全国中学校大会・インターハイを含めた各種大会(国際・国内)の優勝者・入賞者も多数出ている。

 

さらに、鈴木桂治(全日本男子代表チーム監督)、小野卓志(平成帝京大学男子監督)の活躍は説明不要であろう。

 

これらの選手を輩出し、数々の栄光を手にすることができた要因は何だったのか?

 

今回は、私自身が幼少期より小林信雄先生に指導していただいた体験談や、コーチとして手伝いながら体験した少年柔道の指導現場のエピソードなどを交えながら「亡き恩師・小林信雄の強さの秘密」に迫ってみたい。

 

 

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【紹介】東日本少年柔道交流大会①

東日本少年柔道交流会

開会式

みなさんは、東日本少年柔道交流会という団体をご存知ですか?

聞いたことはあるけど、なんかよく分からない。

と、いう柔道関係者もいるはずです。

 

東日本少年柔道交流会は、その名を冠した大会を年に1回開催しています。

今年で24回目になります。

長野県立武道館(佐久市)で開催される小学生と中学生を対象にした大会です。

今月、10日(土)~11日(日)に開催されたばかりです。

今年、私が代表を務める力善柔道クラブも10数年ぶりにこの大会に参加しました。

 

東日本少年柔道交流会は、公式ウェブサイトを持たず、SNSも用いていないため、自らの情報を発信していません。

よって、大会公式結果がWeb上にアップされることはありません。

情報が少ないため、謎めいた団体というイメージを持つ方も多いようです。

 

そのような団体が主催する大会に私と力善柔道クラブは2日間参加してきました。

結論から言うと、子どもたちが楽しく成長できた素晴らしい大会でした。

 

もっと広くこの団体を知ってもらいたい。

そのような想いから、力善柔道クラブの遠征記と合わせて、この団体の紹介と大会の模様を皆様にお伝えしたいと思います。

 

※大会公式結果記載(各部門決勝、準決勝の対戦表あり)



 

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このブログの紹介

みなさん、はじめまして。筆者の杉村圭介です。

ワタクシは、こんな人間です。

  • 社会教育士(文科省)
  • 力善柔道クラブ会長
  • 講道館柔道五段
  • 56才
  • 小5女児の父

 

少年柔道の指導を始めて、今年(2023年)で25周年を迎えました。

何をしてもあきっぽいワタクシが、25年間も一つのことを継続してこれたことを考えると、これが心の底から好きなのだと実感します。

 

25年の歴史の中には、成功したことや失敗したことがたくさんあります。

その経験をもとに、このブログでは柔道普及(競技人口増加)のためのワタクシなりの施策をお伝えすることを一番の目的とします。

 

ワタクシが主宰する力善柔道クラブのブログは、柔道を知らない人が読んでも分かりやすく書くことを心がけています。

ですが、このブログは柔道を知っている人のために書いていきます。

 

後世の人がこのブログを読んで、参考になったと感じてくれるブログを綴っていきたいと思います。

 

なお、このブログは有料マガジンとなります。

600円/月で8記事以上掲載します。

 

是非、ご購読ください。

 

                               令和5年9月

力善柔道クラブ

会長 杉村圭介